笛吹の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

山梨県笛吹市歴史探訪
笛吹市の概要
笛吹市は、山梨県の6町村(東八代郡石和町・同郡御坂町・同郡一宮町・同郡八代町・同郡境川村・東山梨郡春日居町)の合併により、平成16年(2004年)10月に発足しました。市域は、甲府盆地の中央部、やや東寄りに位置し、盆地の北部や東部、南部の山岳丘陵地帯から流出する水系を集め、盆地中央部を西に向かって笛吹川が流れています。笛吹川に向かう扇状地と、盆地底部の沖積平地が広がり、山裾から平坦地にかけては果樹を主体とした農地が分布し、その背後には甲府盆地を構成する山岳地帯が広がっています。農業では桃とぶどうの栽培が盛んで、どちらも日本一の収穫量を誇り、この2つの日本一により、合併一周年記念式典において、「桃・ぶどう日本一の郷(さと)宣言」を行いました。

笛吹のあゆみ
笛吹の地域に人々の営みが認められるのは、約3万年前であるといわれています。原始時代においては、狩猟・漁労や木の実を採集する段階から、米作りの段階へと進みました。4世紀末頃から、大丸山古墳や銚子塚・丸山塚古墳が造られましたが、このことから曽根丘陵に大きな勢力が存在していたことがうかがえます。

8世紀の山梨は、甲斐国といい、山梨・八代・巨麻・都留の4郡からなり、その中心は、国府・国衙の地名があることから、今の笛吹市御坂町・笛吹市一宮町付近にあったといわれています。12世紀に入ると、公家による古代国家の体制は揺らぎ、その中から台頭してきたのが武家でした。そして、天承元年(1131年)頃には、甲斐国に源義清・清光の親子が入り、甲斐源氏を興しました。

その後、甲斐源氏の武田氏や小笠原氏、南部氏などは後世まで繁栄しました。16世紀の武田氏は、戦国大名として発展し、甲府につつじヶ崎館や要害城を築き、ここを拠点に四隣経略を進め、天下統一を目指しました。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後の甲斐国は、織田、豊臣、徳川と支配が移り、江戸幕府の下で、甲府藩(国中)・谷村藩(郡内)が成立しますが、享保9年(1724年)には幕府直轄地となりました。19世紀に入ると、幕藩体制の矛盾から、各地に一揆が多発し、天保騒動が起こりました。

笛吹は、ブドウの栽培に適した風土で、その生産量は日本一を誇り、山梨ワイン製造の一翼を担っています。明治時代にはワイナリーが建設され、ワイン製造においても130年の歴史があります。

終戦を迎えた昭和20年(1945年)、戦後の農地改革によって自作農中心の体制となり、その後の農業経営は果樹への転換が著しくなりました。昭和36年(1961年)、突然ぶどう畑の中から摂氏60度の良質温泉が多量に湧出し、それを石和(いさわ)温泉と名づけました。今では、宿泊施設が150軒を数え、年間約300万人もの観光客が訪れています。また、昭和57年(1982年)の中央自動車道の全線開通は、都心からのアクセスが非常に良くなり、便利になりました。
そして、平成16年(2004年)、6町村の合併により、笛吹市が誕生し、新たな一歩を踏み出しています。


笛吹の名前の由来
6町村が合併する際に、公募により笛吹市と決定しました。全国から954種類、4,442件の応募がありましたが、第11回合併協議会において、「笛吹市」と「峡東市」の2点に絞り込まれ、決戦投票の結果、29票対28票の1票差で、笛吹市に決定しました。


笛吹の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
釈迦堂遺跡博物館
住所: 〒405-0054
山梨県笛吹市一宮町千米寺764 [地図を見る]
電話番号: 0553-47-3333
開館時間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日: 火曜日、祝日の翌日
入館料: 一般200円、小人100円
*団体20名以上2割引







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